土器

土器(どき)は、土を練り固めて成形し、焼き固めることで仕上げた器である。一般には、粘土を窯を使わず、野焼きの状態で700–900℃の温度で焼いた器のことを指し、陶磁器とは区別することが多い。この場合、野焼きを行う穴を焼成坑と呼ぶ。また、古墳時代より製作が始まった日本の須恵器のように窯で焼成したものであっても胎土として使用された本来の粘土の性質が露出しているために、陶器とみなしえないものも土器に含まれる。この場合、須恵器は陶質土器として位置づけられている(朝鮮半島でも陶質土器の表現を用いる)。土器の器壁の内部には、気孔が多く残っているため、透水性が著しく、陶磁器と比べて比重が軽く、胎土の密度がちいさい。したがって、脆くて壊れやすい。

土器の出現はオーストラリアの考古学者ヴィア・ゴードン・チャイルドによれば「人類が物質の化学的変化を利用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ちかいてつくった石器とはまた異なる人類史的意義を有している。

ことに日本にあっては、それが煮炊きのために用いられたところから小動物の狩猟に依存していた生活や自然の恵み(植物の実・根、貝・鳥獣・魚)に依存する食料採集生活ではあまり土器が使われなかった。彼らの中で比較的定住する傾向を持つ集団が土器を使った。 土器を使用することによって加熱によるアク抜きや煮沸、煮炊きが可能となった。ドングリ・クリなどの堅果(木の実)、貝類を含めた魚介類、山菜、根菜など多種多様な動植物が食糧として活用される契機となって定住化がすすみ、各地で竪穴住居より構成される縄文集落が形成された。生業として採集や漁労が採り入れられ、沿岸部では、土器を用いた塩づくりも広くおこなわれて広汎な交易がおこなわれるようになった。


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製法

土器に残された痕跡を観察することによって、その製法を復原することができる。

縄文土器や弥生土器においては、土器が輪積みによって作られていることは、土器面に残された輪積みの痕跡や粘土紐の合わせ目に沿って割れた破片の断面などによって確認することができる。それに対し、須恵器や陶質土器はロクロを用いて作られたことが、ロクロ台からの切り離し痕跡(糸を使う場合とヘラを使う場合がある)や土器面の指頭痕などによって確かめられる。

一般に、土器は

  1. 素地土の採取—粘土だけでは乾燥時に収縮し、亀裂を生じることから植物の繊維や滑石などの混和材も採取する。
  2. 素地土作り—押したり、揉んだり、踏みつけたりして粘土中の気泡を抜き、含まれる物質を均一に混ぜ合わせ、粘性を高める。
  3. 成形—粘土紐を積み上げていく方法(輪積製法)やロクロを用いる方法がある。
  4. (整形)—縄文土器の場合は把手や突起などをつくる。土師器や須恵器の場合は高台をつくる場合などがある。
  5. 文様施文—縄や撚糸をころがす。ヘラ、刻みをつけた棒、貝殻、種実、縄などを押しつける。ヘラで磨り消す。ミガキをかける。塗彩する場合もある。
  6. 乾燥—冷暗所で7日から10日程度乾燥させる。乾燥によって土器は1割ほど収縮する。
  7. 焼成—焼成坑をつくり、焼成する。
  8. 調整—水もれを防ぐため表面を丹念に磨きあげる。漆液を塗って仕上げる場合もある。

という工程を経てつくられる。

破損したときの接着剤として、漆やアスファルトその他が用いられる場合がある。アスファルトは、日本の縄文時代においては、秋田県沿岸部の油田地帯産のものが北海道南部から東北地方にかけて広く交易されていることが確認されている

日本の土器

歴史的には、原始的な陶磁器が土器である。日本では縄文式土器や弥生式土器が有名で、弥生式土器の系統は古墳時代以降土師器に受け継がれる。大陸より製法のもたらされた須恵器が支配者階級に好まれたのに対し、土師器はより一般的な容器として広く用いられたが、のちに独特の意義を認められ、中世ではかわらけとして酒杯として用いられた。現代でも一部の神社などの祭祀で御神酒をいただく際の飲む使い捨ての酒杯として残っている。

縄文土器
現状では、世界的にみて最も古く現れた土器である。当初は炉に突き刺して煮炊き用として用いられたため、丸底が多く、縄文時代早期には尖底土器があらわれる。前期になると平底が一般的になり、器種が増加する。中期になると、北陸地方の火焔土器などのようにきわめて装飾的な傾向が顕著になる一方で精製土器と粗製土器の区別も明瞭になる。後期以降は、いっそう器種が増え、装飾的傾向は鎮まる一方で洗練さを増す。晩期にはきわめて精緻で工芸品的な亀ヶ岡土器(大洞式土器)が日本列島東半に広がる。
弥生土器
縄文土器に比べ、高温で焼かれ、相対的に薄手で硬質であるとされる。名前は、東京都文京区弥生町で発見されたことによる(最新の研究では、弥生式土器の命名起源の土器は古墳時代の土師器であるという説もある)。籾殻の圧痕をともなう弥生土器が各地で見つかっており、稲作の本格的な展開を傍証している。
土師器
弥生土器の流れを汲む、日本在来の土器で、赤褐色で軟質の土器である。古墳時代から11世紀にかけて多くつくられた。氏姓制度において担当する部の集団を「土師部(はじべ)」と呼んだ。埴輪も土師器の製法でつくられている。庶民もふくむ一般的な使用が多いが、律令制度が整備、定着するにしたがい須恵器工人との交流がうまれ、ロクロ使用が採り入れられる。しかし、手づくね土器には独特の祭祀的意味が付加され、これが中世以降のかわらけにつながっている。
須恵器
朝鮮半島とくに伽耶からの影響を受けた土器で、ロクロを用いてつくられた灰色の硬質の土器である。古墳時代から11世紀にかけて多くつくられた。担当する部は「陶作部(すえつくりべ)」である。土師器にくらべ支配階級や官人の使用が多い。律令制度が整備、定着するにしたがい土師器工人との交流がうまれている。珠洲焼・常滑焼・瀬戸焼など中世陶器へつながる土器である。
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